症状の経過(今にして思えば・・・)


2011年9月17日
脊髄小脳変性症には、色々なタイプがありますが、僕の知る限り多くの患者さんは、

知らぬ間に発病していて、「気のせいかな?」と思うような症状が徐々に悪化しています。

ある日突然、倒れたり・血を吐いたり・障害者になるわけではありません。

もっとも、他の病気でも発病して密かに悪化するものもありますが。

しかし、その場合でも、症状はある日突然顕在化するようです。

脊髄小脳変性症は、症状そのものが、ゆっくりと悪化する場合が多いようです。

僕の場合もそうでした。

今にして思えば、小学校の頃から運動が苦手でした。

走るのは遅いし、跳び箱は飛べないし、鉄棒も出来ないし・・・・・

もしかすると、小学生の時期に既に脊髄小脳変性症を発病していたのかも知れません。

その時期は日常生活には支障が無いものの、「運動するには不十分」という症状だったのかも知れません。

走るには、足を交互にすばやく前に出す必要があります。

その動作が上手くできなかったのかもしれません。

バスケット・ボールのドリブルや跳び箱など「体の各部の協調動作・連続動作」も苦手でした。

症状に初めて気が付く「前段階」が、つまり発病して徐々に悪化して症状に気づく前の段階が、きっとあるはずで、

僕の場合は、その「前段階」が小学校の頃の「運動が苦手」ということだったと思うのです。





時は流れて、今から28年前、1983年、20才になって、お酒が飲めるようになり、

大学の友人の部屋で飲み会をしていました。

フト、自分のグラスにお酒を注ぎ足そうとしたら、手元が狂ってドボドボと注いでしまい、溢れてしまいました。

「あれぇ、酔って手元が狂ったかなぁ?」

と、笑ってごまかしましたが、その症状は現在まで続く症状の最初のものとなりました。





今から26年前、1985年、22歳のとき、ちょっとしたドモリに気が付きました。

自分で作詞・作曲した歌を、音楽サークルの部室でレコーディングしていたら、

そばで聴いていた後輩が、

・・・先輩。「とても」の箇所を「てても」と歌ってますよ・・・

と指摘したのです。

意識すれば「とても」と歌えましたが、うっかりすると、「てても」と歌ってしまいます。

これは「T」の発音が連続したために、発音しづらかったのかも知れません。

同じ時期に、Stardust Revue というグループの「今夜だけきっと」という歌を歌いました。

♪ こんや〜だけきっと〜

の箇所が上手く歌えませんでした。

「だけ」の部分が16分音符2つと早くて、「だけき」と、「K」の音が連続していることが原因のようです。

この病気は、喉にも症状が現れるのですが、「K」の発音は喉を使うので、上手くできないのかも知れません。

「佐藤さん」と呼び掛けようとして、「須藤さん」になってしまったこともありました。

「佐藤」だと「S」の音の後に「T」の音が続きます。

それが難しかったようです。

また、この時期は、足の症状にも気づいた時期です。

ふと、そんきょの姿勢になったら、ヨロヨロッと倒れてしまいました。

「そんきょ」とは、相撲で横綱が土俵入りをするときに、俵の縁にしゃがんで取る姿勢です。

膝を深く曲げて、踵を上げ、つま先だけで体を支えます。

この姿勢で転んでしまうことに気が付きました。





今から23年前、1988年、25歳のときに、タップ・ダンス教室に通いました。

基本のステップを遅いテンポでマスター出来ましたが、つま先立ち・片足立ちが不安定なのと速いステップが踏めず、

一年間でタップダンスを諦めました。





今から21年前、1990年、27歳のときに、顕著な症状が現れました。

階段を降りていて、最後の一段を降りた瞬間に、「足首の筋肉が無くなったかのような」感じになり、

体全体が大きくよろけたのです。

反対側の足を着いて、転倒は免れましたが、その後も時々、この症状が現れるようになりました。



この時期は、別の症状も現れました。

社員食堂で定食を注文してご飯・おかず・味噌汁をお盆に載せて、席まで運ぶ間に、

味噌汁が、こぼれてお盆が洪水状態になってしまうのです。

また、自動販売機で紙コップのコーヒーを買って、自分のデスクに運ぶと、

自分のデスクに着いた時には、紙コップの半分くらいしかコーヒーが入っていません。

途中でこぼしたのです。

手が震えていたのか? 上体が揺れていたのか? 足から全体が揺れていたのか?

原因はわかりませんが、この時期は、味噌汁やコーヒーを運ぶことに慎重になっていました。





嚥下障害(えんげしょうがい:飲み込みづらくなる障害)らしき症状に気づいたのもこの時期です。

エビフライを食べていたら、衣のカスが喉に入り、激しく咳き込みました。

咳き込んでも衣のカスは喉から出てくれず、数分間、咳き込みました。

この症状はエビフライを食べるたびに起こりました。





今から18年前、1993年、30歳のときに、足のフラツキがちょっと酷くなりました。

買い物をして、袋を片手に持って歩くとフラツイて、歩きづらいのです。

買ったものを2つに分けて、両手に1つずつ持って歩くとラクに歩けることが分かりました。

この時期は、あがいていました。

きっと、運動不足で足がフラツクのだろう、と思って、

無理して、ジョギングなどをしていましたが、長い距離は走れませんでしたし、

足のフラツキも改善されませんでした。





同じく30歳の頃、手の症状に気が付きました。

ボールペンを使い終わって、キャップを着けようとすると、上手く入らないのです。

ボールペンを持っている手が、キャップを持っている手の甲を滑って、手の甲に線を引いてしまいます。

仕事中に、そういうことが頻繁に起こるので、上司に相談したほどです。

この病気で初めて他人に相談をしました。





今から12年前、1999年、36歳のときは、色々な症状が現れました。

・パソコンのキーボード操作・マウス操作などで時々、手が震える。
・アイスキャンディを持つと手が震える事がある(特に左手)。
・自転車に乗るのが少し危なくなった。





続いて翌2000年、37歳のときは、

・自転車に乗るのがだいぶ危なくなった。
・会社の会議でどもるので、資料の代読をお願いする場面が出てきた。

という具合でした。

この頃になると、「気のせい」などと笑って済ませる症状ではなくなり、ネットで調べたら、

「パーキンソン病」にたどり着きました。

職場の仲間に「俺、もしかしたらパーキンソン病かも」と冗談めいて言っていましたが、内心は不安でした。





そして、ついに苦しみの正体がわかりました。

病院の内科で、一連の症状を伝えたところ、CT検査をしてもらいました。

2001年5月1日のことでした。

すぐに病名が伝えられて、「脊髄小脳変性症」だとわかりました。

普通、大変な病名を告げられたら、誰しもショックでしょうけれど、

不謹慎ながら、僕は嬉しかったです。

・・・やっと、悩みの正体がわかった。

そう思うと嬉しかったのです。

この病気の患者にどんな未来が待っているかについても聞かされましたが、それでも当時は嬉しさのほうがまさっていました。

この年は、ついに自転車に乗れなくなりました。





そして9年前、2002年1月9日、道路を歩いていたら、急に猫が横切り、驚いた僕は転んでケガをしてしまいました。

同年3月29日、病院で杖(1点杖)を借り、日常的に杖で歩くようになりました。

同年11月12日、障害者手帳が交付され「体幹機能障害5級」となりました。

杖も病院から借りたものではなく、自分で購入しました。

この時期は、杖で歩いていたものの、よく転倒しました。

杖がうまく使えていなかったようでした。

また、嚥下障害も少しずつ悪化しました。

ラーメンをすすったら、むせて、テーブルの上に吐き出してしまいました。

麺類には注意が必要になってきました。







今から4年前、2007年に杖では歩けなくなり、ケアマネージャーさんに相談したところ、

「歩行器(ほこうき)」を紹介してくれました。



写真の上部の黒い部分を両手で握って、押して歩きます。

写真の下部に見える4つの車輪が回転して、スムーズに歩けます。

後輪は、前後方向を向いており固定ですが、

前輪は、キャスターになっていて、360度、どの方向にも向きが変わります。

それによって、曲がるときもスムーズに曲がれます。

外出用の歩行器は頑丈な構造で、結構、重いです。

写真の中央に見える黒い部分は、座れるようになっています。

歩いていて疲れたときや、電車に乗って座れないときなど、

ここに座ります。

上部の握りの下に見えるレバーはブレーキです。

上に引くと、後輪にブレーキがかかります。

下にカックンと引き下げると、後輪がロックされて、手を離しても

歩行器は動きません。

中央の座面を跳ね上げると、荷物を入れるカゴがあります。

カゴを取り去ると、棒があって、その棒を上に引っ張りあげると

歩行器を前後方向に畳むことが出来ます。

タクシーに乗るときは、歩行器を畳んでトランクに積んでもらいます。

以上が外出用の歩行器です。



続いて室内用の歩行器。

外出用の歩行器と同様に、車輪が4つです。

ブレーキや座る部分はありません。

上部の中央に見える黒い部分はボタンで、このボタンを押すと、

歩行器を畳むことができます。

外出用の歩行器は、前後方向に畳みましたが、室内用の歩行器は、

左右の部分が、中央に向かって折れ曲がります。

外出用の歩行器より、小さく畳めます。

車椅子を畳んだ状態のように小さくなります。

室内用の歩行器は外出用の歩行器に比べると、かなり軽いです。

重さの差が安定度の差になっているようです。





この時期、親戚の家の物置で眠っていた4点杖と車椅子を譲ってもらいました。

2007年4月5日、障害者手帳が3級に上がり、「要介護2」の認定を受けました。

訪問看護・訪問リハビリが始まったのもこの年です。





歩行器になってからは落ち込んでしまいました。

2010年10月に高校時代の同級生が訪ねてくるまでの3年間は、落ち込んだ日々を過ごしました。

訪問リハビリも惰性でした。

そんな折り、2010年10月24日、高校時代の同級生が訪ねてくれて、僕は次第に自分を取り戻しました。





2011年は、嚥下障害が悪化しました。

コップで水を飲むと、飲み込めずに口の中に逆流してしまいます。

これは、口の中の水を喉へ押しやるタイミングと、喉が開いて水を飲み込むタイミングとが合わないために起こるようです。

また2011年は「複視」という症状が現れました。

普通に両目を開けていると、モノが二重に見えてしまう症状です。

特に近くのモノほど二重になりました。

携帯電話やパソコンは、片目をつぶって操作しました。

不思議なことに、「複視」の症状は1ヶ月くらいで治ってしまいました。





その他、現在の状態は、

・4点杖で、ゆっくりと短い距離なら歩ける。階段も手すりがあれば4点杖で昇り降り出来る。

・普段は、室内用及び屋外用の歩行器で歩く。

・パソコンのキーボードが打ちづらい。打ち間違いが頻繁に起こる。

・お箸が使いづらい。

・食事のときに、よくむせる。

・痙攣ではないが、体が震える。
 →歩行器や4点杖に掴まって立っているだけなのに、上体や肩がピクピク震えます。体の安定を保つことが難しいようです。
 →テーブルに両肘を着いて、携帯電話を操作していると、肩が前後に震える。
 →字を書く時に、左肘をテーブルに着くと、肩が前後に震える。

といったところです。

めげることなく、障害を受け入れて、周囲にも理解してもらって協力を得ながら、カラオケやライブなどに参加する日々を送っています。










 
 
 


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