後半の人生に向けて

● 2001.09.29 : 【武蔵野の路】を思い立った理由
● 2001.09.29 : 【何で、症状の軽いうちからリハビリしてるの?】
● 2001.12.20 : 生まれての初めて自由な空気
● 2002.01.23 : 【きっと、治るよ!】
● 2002.03.28 : いっそ、このまま・・・
● 2002.03.31 : 僕の葬式
● 2004.06.30 : 【病名を告げられて嬉しかった】とは?

● 2019.04.04:自伝【湘南自殺ウォーキング)のご案内

● 2019.04.05:車椅子ダンス開始!!


2001.09.29

 
 
 武蔵野の路】を思い立った理由はいくつかある。
 もともとウォーキングが好きなのに、怠惰な毎日を過ごしていたことを後悔したのもあるし、
 もともと歴史探訪が好きなのに、怠惰な毎日を過ごしていたことを後悔したのもある。
 だがもっと大きな理由がある。
 今は、うまく言葉にできない。
 SCDという病気になってみて、あらためて足で歩くことのありがたさがわかったのかもしれない。
 というか、【歩くこと】そのものに、人間の尊厳を感じたのかもしれない。
 だから、病気が進行して杖をつくようになっても、車椅子を使うようになっても、チャレンジを続けたいと思っている。
 

2001.09.29

 【何で、症状の軽いうちからリハビリしてるの?】と、友達に驚かれてしまった。
 理由は簡単なんだけれどね。
 自分が怠惰な性格であること・めげやすい性格であること・腰痛もち喘息もちであること、それらのことを一番よくわかっているのは、ほかならぬ僕自身だ。
 だから、ヤル気になっている今がチャンスなのである。
 

2001.12.20

 思えば、今年はいい出会いがたくさんありました。
 SCDという病気が判明したのは、まぁ不幸なことだったけれど、同じ病気の仲間5人も出会うことができた。
 主治医・リハビリの先生、看護婦さんもいい人たちばかりだ。
 直接会っては、いないけれど、SCDのメル友、パーキンソン病のメル友とも、交流が続いている。

 今までの出会いは、裏切りや嘲笑、無理解、強制などなど、傷つくことの多い人間関係だった。
 今年出会った人々の中にいて、はげまし・気遣い・癒し・マイペース・お互いを尊重する、などなど久しぶりに、
 いや生まれて初めて自由な空気を吸っている。
 

2002.01.23

 脊髄小脳変性症という病気になって以来、色々な人に病気の話をしました。
 きのう、昔の先輩にメールで伝えたのですが、帰ってきた返事が

 【きっと、治るよ!】

 でした。
 元気付けようとしてかけてくれた言葉だと言うことは分かるのですが、思わず、
 むっときました。(言葉は返さなかったけど)

 うまく言えないんだけど、たとえば、アフガニスタンで地雷を踏んづけて足を吹き飛ばされた人に

 【きっと、また生えてくるよ!】

 なんて言わないハズ。
 ところが、

 【きっと、治るよ!】

 という言葉、僕にとっては【きっと、また生えてくるよ!】みたいな響きがありました。

 現段階では、不治の病です。小脳が縮む病気。

 【きっと小脳が元の大きさに戻るよ!】

 と言い換えてみれば、とってもおかしい事を言ってるのがわかると思う。

 将来、再生医療が進歩すれば、体のあらゆる部分を再生出来るようにもなるでしょう。
 (まったくの夢ではないです)
 それに10年、20年先には、脊髄小脳変性症の特効薬も出来るかもしれません。

 そうなったらメデタイことです。
 でも、そうなる日までは、現状を受け入れて病気に向かい合っていくわけです。
 治る、ということを期待して待ち続けるだけだと、病気である今の状態を受け入れられなくなってしまう・・・・・

 それよりは、その時その時の状況を受け入れて前向きに生きたいわけです。
 周囲の人にも、

 【きっと、治るよ!】

 ではなくて、【車椅子の君でも、変わらずに付き合って行こう】と言って欲しいのだと思います。

 うまく言えないけれど、ノーマライゼーションというのかな?
 障害者の掲示板に、【俺にだって、感情はある、人間だ】などの叫びが書き込まれて
 いるのと、どこか通じるようなことを考えた次第です。
 

2002.03.28

 病院からもらったアレルギーの薬が切れてしまい、このところ鼻詰まりがひどい。
 SCDは、喉の動きが悪くなって窒息や肺炎で死ぬこともあると聞いた。
 鼻が詰まって苦しくて苦しくて、思わず思いました。
 【いっそ、このまま・・・】

 さっさと死んでしまえたら楽なのにな。
 そんなことを考えました。
 

2002.03.31

 僕の葬式について考えました。

 【そんな縁起でもない・・・・・(^^; 】
 などと余計なツッコミはしないでください。

 人生の最後について考えると色々な事が見えてきて、その結果、
 【今を、こんな風に生きよう!】
 と思えるようになるのです。
 葬儀に参列する人々の顔を思い浮かべるだけで、
 【この人との付き合いをもっと大切にしよう】
 などと決意を新たにすることが出来ます。

 さて、葬儀の形態は無宗教。
 僕自身が特定の宗教を持っていないのもあるが、突然死んでしまって、一般的(?)
 とも言える仏教で葬儀をされるのは嫌なんです。
 ナンミョーホーレンゲーキョってのは、サンスクリット語だっけかな?
 なんで、意味の分からない外国語で、僕が見送られるのさ!

 やっぱ、意味の分かる言葉をかけて欲しいよね♪

 で、会場には、僕が生前好きだった音楽を流そう。
 スコット・ジョプリンの【solace】に、エリック・サティの【ジムノ・ペディ】と【Ju Te Veux】
 それとなんといっても、ショパンの【わかれの曲】涙をさそうよね。

 あと、ムソルグスキーの【展覧会の絵】の中から、【古城】も流したいな。
 ほんとは、ラストの【キエフの大門】も流したいけれど、そういう雰囲気じゃないだろうなぁ・・・
 でも、あの曲のように、華々しく送り出してもらいたいんですよ♪
 

2004.06.30

 病名を告げられて嬉しかったとは?

僕と同じように思う人は、そんなに少なくはないみたいです。
僕は、約20年前にSCDの症状が出始めました。
ちょっとしたドモリやちょっとしたふらつき。
最初は、もちろん大した事無かったけど、社会人になった18年前には、 ドモリが悩みになって行きました。
それとともに、足のふらつきも少しずつ悪化しました。

時々心配になって色々な病院に行ったんです。整体マッサージなども何度も 行きました。整体マッサージで一時的に体調良くなって足のふらつきがなくなる し、当時腰痛持ちだったから、なんとなく自分で納得してました。

でも、周囲の反応は、どもるたびに、【はぁ? おまえしっかりしゃべれよ!】 とか、【自分の名前も言えないのか!】とか、ふらついてると【ぶったるんでる んじゃねぇか?】などなど、からかわれる毎日でした。
妻でさえ、この時期は信じてくれませんでした。
《 怠けてるだけだ! 》と罵られる家庭生活・・・

症状は軽いとはいえ、明らかに周囲と同じように出来ずに、馬鹿にされる 10数年・・・
病院に行っても原因がわからず・・・・・

そして、今から3年前にいよいよ、おかしいと思って病院に行ったら、そのとき 初めて神経内科に案内されて・・・(中略)・・・今に至ります。

病名が告げられて説明を聞いたとき、とても嬉しかったです。
今までの20年間の嫌な体験がすべて、説明できたから。
これでやっと、自分らしくなれる、等身大の自分に戻れる。

本当に落ち込み始めたのは、病名を聞いたあと半年・一年経った頃からです。
もっとも、それも障害者の友達が増えたことで、癒されたりしています。

今、思うのは、SCDだと知って、やっぱり良かったということです。
あのまま、病名を知らされない人生だったらと思うとゾッとします。

で、SCDになって良かったか、という質問がどこからか飛んできそうですが、 その答えは書かない事にします。

筋ジストロフィー、脳性麻痺、視覚障害、聴覚障害、色々な障害者の友人が 出来ました。
今、少しずつ症状が悪化して、不安はもちろんあります。
でも、不便ではあっても、楽しそうに生き生きとしている彼らを観ていると、 先の人生、悲観はしてません。


まとまらない文章ですが、以上が僕の感じ方であり、 SCDになって・SCDだと知って、どう思うかは、やはりその人のものだと 思ってます。
 

 

2019.04.05

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2019.04.05

 車椅子ダンス開始!!

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2019/04/04 Singin' In The Rain(雨に唄えば) https://www.youtube.com/watch?v=zn2g8uzhPgk
2019/04/05 オクラホマミクサー https://www.youtube.com/watch?v=OxsC9L6jTA0


 

 

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