2001.09.29 |
【武蔵野の路】を思い立った理由はいくつかある。 もともとウォーキングが好きなのに、怠惰な毎日を過ごしていたことを後悔したのもあるし、 もともと歴史探訪が好きなのに、怠惰な毎日を過ごしていたことを後悔したのもある。 だがもっと大きな理由がある。 今は、うまく言葉にできない。 SCDという病気になってみて、あらためて足で歩くことのありがたさがわかったのかもしれない。 というか、【歩くこと】そのものに、人間の尊厳を感じたのかもしれない。 だから、病気が進行して杖をつくようになっても、車椅子を使うようになっても、チャレンジを続けたいと思っている。 |
【何で、症状の軽いうちからリハビリしてるの?】と、友達に驚かれてしまった。 理由は簡単なんだけれどね。 自分が怠惰な性格であること・めげやすい性格であること・腰痛もち喘息もちであること、それらのことを一番よくわかっているのは、ほかならぬ僕自身だ。 だから、ヤル気になっている今がチャンスなのである。 |
思えば、今年はいい出会いがたくさんありました。 SCDという病気が判明したのは、まぁ不幸なことだったけれど、同じ病気の仲間5人も出会うことができた。 主治医・リハビリの先生、看護婦さんもいい人たちばかりだ。 直接会っては、いないけれど、SCDのメル友、パーキンソン病のメル友とも、交流が続いている。 今までの出会いは、裏切りや嘲笑、無理解、強制などなど、傷つくことの多い人間関係だった。 |
脊髄小脳変性症という病気になって以来、色々な人に病気の話をしました。 きのう、昔の先輩にメールで伝えたのですが、帰ってきた返事が 【きっと、治るよ!】 でした。 うまく言えないんだけど、たとえば、アフガニスタンで地雷を踏んづけて足を吹き飛ばされた人に 【きっと、また生えてくるよ!】 なんて言わないハズ。 【きっと、治るよ!】 という言葉、僕にとっては【きっと、また生えてくるよ!】みたいな響きがありました。 現段階では、不治の病です。小脳が縮む病気。 【きっと小脳が元の大きさに戻るよ!】 と言い換えてみれば、とってもおかしい事を言ってるのがわかると思う。 将来、再生医療が進歩すれば、体のあらゆる部分を再生出来るようにもなるでしょう。 そうなったらメデタイことです。 それよりは、その時その時の状況を受け入れて前向きに生きたいわけです。 【きっと、治るよ!】 ではなくて、【車椅子の君でも、変わらずに付き合って行こう】と言って欲しいのだと思います。 うまく言えないけれど、ノーマライゼーションというのかな? |
病院からもらったアレルギーの薬が切れてしまい、このところ鼻詰まりがひどい。 SCDは、喉の動きが悪くなって窒息や肺炎で死ぬこともあると聞いた。 鼻が詰まって苦しくて苦しくて、思わず思いました。 【いっそ、このまま・・・】 さっさと死んでしまえたら楽なのにな。 |
僕の葬式について考えました。 【そんな縁起でもない・・・・・(^^; 】 人生の最後について考えると色々な事が見えてきて、その結果、 さて、葬儀の形態は無宗教。 やっぱ、意味の分かる言葉をかけて欲しいよね♪ で、会場には、僕が生前好きだった音楽を流そう。 あと、ムソルグスキーの【展覧会の絵】の中から、【古城】も流したいな。 |
病名を告げられて嬉しかったとは? 僕と同じように思う人は、そんなに少なくはないみたいです。 |
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