019:伊勢(いせ)
百人一首の19番目の作品は、伊勢(いせ)の作品です。

伊勢は、生没年:872年〜938年の女性歌人です。

藤原継蔭(つぐかげ)の娘で、父が伊勢守(いせのかみ)だったので、

伊勢と呼ばれました。

三十六歌仙の一人です。

藤原仲平(ふじわらのなかひら)・時平(ときひら)兄弟や

平貞文(たいらのさだふみ)と交際ののち、

第59代:宇多(うだ)天皇の子を生みますが、子は若くして死去。

その後、宇多天皇の息子の敦慶親王(あつやすしんのう)と結婚して

子を生みました。

なかなか恋多き乙女・紆余曲折あった人生だったようです。





伊勢が百人一首に残した作品は、、、

♪ 難波潟 みじかき蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや

です。

読みは、

♪ なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや

となります。

難波潟とは、現在の大阪湾の古い呼び方です。

歌の意味は、、、

難波潟    (難波潟の)
みじかき蘆の (短い蘆の)
ふしの間も  (節と節の間のような短い時間でさえも)
逢はでこの世を(逢わないで、この世を)
過ぐしてよとや(過ごせとおっしゃるのですか?)

となります。

この歌は、恋愛関係にあった藤原仲平(ふじわらのなかひら)が

なかなか逢ってくれなかったために詠んだ歌だそうです。

大阪湾に生えている蘆の草。

その節と節の間が、とても短い。

そのように短い時間でさえも、あなたは逢わないで過ごせと

おっしゃるのですか?

藤原仲平は、伊勢の他にも交際している女性がいたようです。

そして伊勢に対しては、

言い訳をして逢わないようになってしまったそうです。

伊勢は、逢えないのがつらく、蘆の草の節と節のあいだのような

ほんの短い時間でも良いから逢いたいと願っていたのです。

けれど藤原仲平は逢ってくれません。

そこで、「逢はでこの世を 過ぐしてよとや」

「逢わないでこの世を過ごせとおっしゃるの?」

と、半ば恨み節になっています。

可愛そうな伊勢。よほど逢いたかったのでしょうね。



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