018:藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)
百人一首の18番目の作品は、

藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)の作品です。

生没年:???年〜901年または907年の歌人で、

三十六歌仙のひとりです。

「敏行集」という短歌集を残しています。

百人一首には藤原家の人の作品が多く、28人も採用されています。

藤原敏行朝臣は、そのトップバッターとなります。

朝臣(あそん)とは17番でも説明しましたが、姓(かばね)というもので、

天皇から賜ります。

藤原氏、源氏、平氏、在原氏、橘氏(たちばなし)などが、

朝臣を賜っています。

苗字・名・かばねの順に名乗ります。






藤原敏行朝臣が百人一首に残した作品は、、、

♪ 住の江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ

です。

読みは、

♪ すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん

となります。

意味は、

住の江の  (住の江の)
岸による波 (海岸に打ち寄せる波は)
よるさへや (昼はもちろん、夜までも)
夢のかよひ路(夢の中で恋人のところへ通っていく路で)
人目よくらむ(人目をさけるのであろうか)

「住の江」というのは、現在の大阪市住吉区の入り江のことです。

「よるさへや」の句には「昼」という言葉は出てきませんが、「さへ」が、

「その上、・・・までも」という意味なので

「よるさへや」は、「昼はもちろん、夜までも」という意味になります。

「人目よくらむ」の「よく」は、「避ける」という意味で、

「らむ」は、推量の助動詞で「〜のだろうか?」という意味です。

「人目を避けるのだろうか?」という意味になります。






当時、「夢」の中に思っている人が現れるという事は、

その人が自分のことを思っていてくれる、と

信じられていました。

「よるさへや」の句は、前半の「住の江の 岸によるなみ」と

後半の「夢のかよひ路 人目よくらむ」の

両方にかかっています。

というより、「住の江の 岸によるなみ」が、

次の「よる」の序詞になっています。

つまり「住の江の 岸に寄る波は昼はもちろん夜でさえも」という具合に

「よるさへや」を引き出し、

さらに、その「よるさへや」が、

「(あなたは)昼ばかりでなく夜の夢の中でさえ、
人目をはばかって会ってくれない」と

下の句を強調しています。

全体を訳すと、

♪ 住の江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ

  住の江の岸に寄る波は、昼ばかりでなく夜でさえも打ち寄せている
  (それなのに)あなたは、昼ばかりでなく夜の夢の中でさえ、
  人目をはばかって会ってくれない

となります。

会いたいと思っている恋の相手に対する恨み・憤りを表わし、

嘆いているようにも感じられます。

昼間会うのは、人目をはばかったのかも知れませんが、

せめて夢の中では会ってあげても良いのに、と感じました。

僕だったら、昼間も人目をはばからず会いに行ってしまうでしょう(笑)

地位も名誉もないから、人目をはばかる必要がありません。

平安時代の貴族たちは、人目をはばかって、

ひたすら忍ぶ恋をしていたのでしょうね。



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