016:中納言行平(ちゅうなごんゆきひら) |
百人一首の16番目の作品は、中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)の作品です。
中納言行平は、生没年:818年〜893年。 第51代:平城(へいぜい)天皇の孫です。 17番でご紹介する在原業平(ありわらのなりひら)のお兄さんです。 本名は、在原行平(ありわらのゆきひら)といいます。 840年に、第54代:仁明(にんみょう)天皇の蔵人(秘書のような仕事)に任じられました。 855年に因幡国(いなばのくに:現在の鳥取県東部)の国司(こくし)に任じられて、 因幡守(いなばのかみ)と呼ばれました。 国司とは、現代の知事みたいなものかと思ったら、地方の祭祀・行政・司法・軍事を任される役職だそうです。 882年、第57代:陽成(ようぜい)天皇の時代に、中納言(ちゅうなごん)の役職に就き、 百人一首では、中納言行平と呼ばれるようです。 中納言行平は、因幡守以外にも、播磨守・信濃守・備中守・近江守などを歴任しています。 その他にも京の都で色々な役職に就いています。 中納言行平が百人一首に残した作品は、、、 ♪ たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む です。 読みは、 ♪ たちわかれ いなばのやまの みねにおうる まつとしきかば いまかえりこん となります。 この歌は、中納言行平が因幡守に任じられたときに、因幡国への旅立ちに際して、いわゆる「送別会」が行われ、 その席で「挨拶」として詠んだ歌です。 掛詞(かけことば)を2つも使っているので、各句ごとの直訳だと意味がわかりにくいですが、 たち別れ (別れて) いなばの山の (因幡の国に行きます。その因幡の国にある稲葉山の) 峰に生ふる (峰に生えているという) まつとし聞かば(松。その松ではないけれど、待つとおっしゃるならば) 今帰り来む (すぐにでも、帰りましょう) 「たち別れ」の「たち」は、接頭語で、特に意味はありません。 次の「いなば」は、「往なば(往けば)」と「因幡の国」と、「稲葉山」の3つの掛詞です。 つまり、「因幡の国に往けば、稲葉山があって」という意味になります。 「まつとし聞かば」の「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞です。 「稲葉山の峰に生えている松。その松ではないけれど、(みなさんが)待つとおっしゃるならば」 という意味になります。 別れを惜しみつつも、因幡の国の風景を詠んでいます。 中納言行平は、因幡守を2年勤めたあと、兵部大輔(ひょうぶだゆう)といういわゆる軍事の役人として 今日の都に帰りました。 |