013:陽成院(ようぜいいん) |
百人一首の13番目の作品は、陽成院(ようぜいいん)の作品です。
陽成院は、第57代天皇:陽成天皇のことです。 天皇を退位してから陽成院と呼ばれました。 生没年:869年〜949年。 なんと! わずか9歳で、父の第56代:清和(せいわ)天皇から 譲位(じょうい:位を譲られること)され、天皇となりました。 当時は、摂政(天皇に代わって政治を行う人)の 藤原基経(ふじわらのもとつね)が政治の実権を握っていた時代でした。 藤原基経は、 ・第56代:清和天皇(陽成天皇の父) ・第57代:陽成天皇 ・第58代:光孝天皇(陽成天皇の祖父の文徳天皇の弟) ・第59代:宇多天皇(光孝天皇の7男) の4代もの天皇の時代に摂政を務めて、政治の実権を握っていました。 883年に、宮中で源益(みなもとのすすむ)が殺されるという 前代未聞の事件が起こります。 この事件を口実に藤原基経は、陽成天皇に退位をせまります。 結局、884年に陽成天皇は、退位を余儀なくされました。 表向きは脳の病気による退位だそうです。 陽成天皇は、わずか9歳で天皇になりましたが、実権は藤原基経が握り、 天皇としての在位期間も短かかったのです。 そんな陽成院が、百人一首に残した作品は、、、 ♪ 筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる です。 読みは、 ♪ つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる となります。 陽成天皇は幼い頃から、あこがれる女性がいました。 後に光孝(こうこう)天皇となる人の長女、綏子(すいし)内親王です。 成長するにつれ、あこがれが恋に変わっていきました。 その気持ちを詠んだ歌です。 意味は、、、 筑波嶺の (筑波山の) みねより落つる(峰から流れ落ちる小さな流れも) みなの川 (積もり積もって、みなの川となります) 恋ぞつもりて (私の気持ちも、ますます高まって) 淵となりぬる (深い恋の淵となりました) この歌は、綏子(すいし)内親王に捧げられたということです。 あこがれの気持ちが高まっていく様子を、 筑波山の川の流れにたとえてステキです。 その気持ちの高まりを、歌に詠んで、それを相手に捧げるなんて ステキですね。 綏子(すいし)内親王は、陽成天皇の后となりました。 陽成天皇の想いが実ったのです。 |