011:参議篁(さんぎたかむら) |
百人一首の11番目の作品は、参議篁(さんぎたかむら)の作品です。
参議篁は、本名が小野篁(おののたかむら)。 生没年:802年〜853年。 参議とは、 当時の日本の最高機関である「太政官(だいじょうかん)」の中の、 役職のひとつです。 小野篁は、遣隋使(けんずいし)を勤めた小野妹子(おののいもこ)の子孫だそうです。 また、9番でご紹介した小野小町の祖父に当たる人だそうです。 ちなみに小野小町の生没年は825年〜900年頃と伝えられていますが、 それでは、小野篁が23歳で孫の小野小町が誕生したことになってしまい、 小野小町の生没年は、疑わしいものとなっています。 小野篁が百人一首に残した作品は、、、 ♪ わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり舟 です。 読みは、 ♪ わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね となります。 小野篁は、834年に遣唐副使に任ぜられました。 遣唐大使は、藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)です。 遣唐使は、船で唐の国(中国)に渡ります。 遣唐大使は第1船、遣唐副使は第2船に乗船します。 いざ出発しようとすると、遣唐大使である藤原常嗣の乗船する 第1船が破損していることが発覚しました。 藤原常嗣は、小野篁の第2船との交換を要求しました。 けれど破損した船で、出発できませんので、 小野篁は、藤原常嗣の要求に怒ってしまいます。 そして仮病を使って、遣唐副使を拒否します。 そのことが罪に問われ、小野篁は隠岐の島へ流罪となってしまいした。 ♪ わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり舟 の歌は、島へ流されるときに詠んだ歌です。 意味は、 わたの原 (海原を) 八十島かけて (たくさんの島々をめぐって) 漕ぎ出でぬと (漕ぎ出して行ったと) 人には告げよ (都の人たちに伝えてください) 海人のつり舟 (漁師さんの釣り船よ) となります。 この歌を聞いた漁師さんが、都へ歌を届けたのでしょうか。 その2年後、840年に小野篁は罪を許されて都に帰ることが出来ました。 847年には、参議の役職を与えられました。 |