004:山部赤人(やまべのあかひと)
百人一首の4番目は、山部赤人(やまべのあかひと)です。

生没年:?〜736年?の人物です。

3番でご紹介した柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)と時代が

同じ人ですが、詳しい経歴・人生などはわかっていません。

下級役人だったと推測されていますが、

天皇の行幸(ぎょうこう:天皇がおでかけになること)に随行した際の

作品が残されていることから、宮廷歌人だったとも推測されています。





そんな山部赤人の作品は、

♪ 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

です。

読み方は、

♪ たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

となります。

山部赤人が上司のお供で、駿河の国(現在の静岡県)に行った際に

富士山を眺めて作った作品です。

意味は・・・・・

田子の浦に    (田子の浦の海岸に)
うち出でて見れば (出て仰ぎ見ると)
白妙の      (白い雪をいただいた)
富士の高嶺に   (富士山の高い嶺に)
雪は降りつつ   (今もしきりに雪が降り続けている)

静岡県富士市には「田子の浦」という地名が残っているそうです。




3番の柿本人麻呂は、寂しい恋の歌でしたが、

4番の山部赤人は、雄大な自然を歌い上げています。

この作品は、2番の持統天皇と同じく、

百人一首を取り纏めた藤原定家(ふじわらさだいえ)が

「新古今集」から、取り上げた作品ですが、

元の作品が「万葉集」にあって、その作品は、

♪ 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ
  富士の高嶺に 雪は降りける

です。

読みかたは、

♪ たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ
  ふじのたかねに ゆきはふりける

となります。

誰が改変したのかはわかっていないようです。



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